福沢氏古銭配分の記
福沢諭吉(1835-1901)の生まれたのは天保5年12月12日である。ただし、当時の太陰暦を太陽暦に換算すると、1835年1月10日にあたる。慶応義塾では1月10日を「福沢先生記念日」と定めている。
諭吉の父、福沢百助(1792-1836)は豊前国中津の藩士であるが、当時、大坂堂島浜にあった中津藩の蔵屋敷に勤めていた時、諭吉が生まれた。母は同藩士族・橋本浜右衛門の長女・於順(1804-1874)、兄は三之助、姉は於礼、於婉(中上川彦三郎の母)、於鐘。
諭吉とい名の由来は、父が多年のぞんでいた「上諭条例」(清の乾隆帝治世下の法令を記録した書籍)を手に入れることができ、たいそう喜んでいるところへ男子出生のよろこびが重なったので、この上諭の諭の字をとってその子に名づけたものといわれる。
このような学問好きな福沢百助とは如何なる人物であったのか、面白いエピソードが伝わっている。
大坂在住中、百助は古銭を集めて楽しみとしており、ある日のこと、100文を貫いた銭緡(ぜにさし)から珍しい幾文かを選び出して除いておいたところ、それを知らぬ家人がそのままその日の魚代に支払ってしまった。そのころ、穴あき銅銭の一文銭は九六文を銭緡に貫いて緡のまま百文に通用させる風があって、これを九六の百文と呼んでいたという。あとでこれを聞いた百助は、魚売りをさがしだし、不足の銭を払ったほかに、面倒をかけたといって若干の銭を与え、自分の不注意をわびたという。(参考:会田倉吉「福沢諭吉」吉川弘文館)
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