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2007年5月15日 (火)

西村茂樹と東京修身学社

   西村茂樹(1828-1902)は、文政11年、下総国佐倉藩士の子として江戸の藩邸で生まれた。幼名、西村平太郎、明治以後は茂樹と改め、晩年は泊翁と号す。明治6年7月、アメリカから帰国した森有礼らとともに、同年秋に明六社を創設。福沢諭吉、中村正直、西周、加藤弘之、津田真道、杉亨二、箕作秋坪、箕作麟祥などと中心的存在であった。会合は毎月1日と16日に開かれた。会員は旧幕府官僚で、開成所の関係者が多かった。明治7年3月から機関誌「明六雑誌」を発行、開化期の啓蒙に指導的役割を果たした。明治8年、雑誌は43号で廃刊となり、明六社は事実上の解散となった。

    西村は明治9年、国民道徳の振興を目的に東京修身学社を創設して、雑誌「修身学社叢説」を発行する。明治17年4月、日本講道会に改称する。(:日本弘道会の前身)西村は生涯、社会道徳の振興・普及に中心的な役割を果たした。明治35年8月、死去。

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