「明治詩文」の漢詩人たち
明治8年、9年頃から漢詩文を主とする雑誌がにわかに起こってきた。
「新文詩」8年7月創刊 森春涛主宰
「東洋新報」9年7月 岡本監輔主宰
「明治詩文」9年12月 佐田白茅主宰
「花月新誌」10年1月 成島柳北主宰
「古今詩文詳解」13年12月 吉田次郎
この中でもっとも勢力があり名高かったのは「明治詩文」と「古今詩文詳解」であった。
漢学が衰退して洋学を盛んに謳歌した時代に、こうした雑誌が創刊されたことは奇異に感じられるが、これは一つは洋学の興隆、西洋文化の心酔に対する反感から生まれたところであろう。
「明治詩文」は久留米の佐田白茅によって編集されたが、佐田は若い頃、真木和泉に従って勤王論を唱えた。維新の後外務方面の官吏となったが、西郷隆盛、江藤新平、副島種臣らと征韓論を主張して、破れ職を辞した。人物は、磊落で才を愛した。重野成斎、川田甕江の両大家と交わりをよくしたため、この雑誌には重野・川田をはじめ、当時日本国中の名家、あるいは高官の作品が録載されたので、権威のある雑誌となった。その主な人々をあげると、島津久光、山内豊信、木戸松菊、鍋島閑叟、伊藤春畝、勝海舟、副島蒼海、亀谷省軒、加藤桜老、岡鹿門、小野湖山、阪谷朗蘆、川田甕江、青山鉄槍、秋月韋軒、安井息軒、村上佛山、岡松甕谷、重野成斎、南摩羽峰、藤澤南岳、三島中洲、藤野海南、大沼枕山、中村敬宇、今藤悔堂、小永井小舟、島田篁、広瀬林外、鷲津毅堂、鱸松塘、松岡毅軒、芳野金陵、村山拙軒、小山春山、依田百川、木原老谷、青山佩弦斎、江馬天江、神山鳳陽、頼支峰、菊池三渓、林鶴梁、田口江村、大槻磐渓、林鶯渓、小林卓斎、浅田栗園、土井聱牙、西薇山、片山沖堂、蒲生褧亭、小牧櫻泉、吉嗣拜山、山本迂斎、谷口藍田、隄静斎、岡本韋庵、石川鴻斎、矢土錦山、土屋鳳洲、高橋白山、日下勺水、草場船山、森槐南、末松青萍。
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