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2007年5月 8日 (火)

シャーロット・ブロンテの生涯

    シャーロット・ブロンテ(1816-1855)は、牧師の娘としてヨークシャーの村に生まれ、1820年、父の転任に伴いハワースに移った。1821年、母を失い、母方の伯母に育てられた。一時付近のコーワン・ブリッジに開かれた牧師の娘たちのための寄宿学校(ジェーン・エアのなかにローウッドとして描かれて有名になった)に入ったが、おもにハワースの寒村で育った。

   少女時代から空想的な物語を作って、その世界に没入し、奔放な想像力をはぐくみ、また、ものを書く習癖を養って無意識に物語の表現方法を身につけた。弟パトリック・ブランウェル(1817-1848)とともに書いたいわゆる「アングリア物語」は、手記本が多く現存し、シャーロットの作家的発展を考えるうえに興味深い資料となっている。1831年ロー・ヘッドの学校に入り、翌年ここを去ったが、1835年同校の教師となった。その後、家庭教師をしたのち、1842年、妹エミリーとともにブリュッセルのある学校に遊学して語学を学んだ。いったん帰国し、翌1943年に再び単身ブリュッセルへいって英語の教師になった。

   シャーロットは父の眼の手術のために一緒に滞在していたマンチェスターで1846年から書き出していた「ジェーン・エア」をおおかた書き上げており、スミス・エルダー社が、もっと波瀾に富みスリルのある三巻本の小説なら喜んで考慮しようと言ってくれたとき、シャーロットはただちにそれを完成した。1847年10月、「カァラー・ベル」という匿名で「ジェーン・エア」を発表すると、たちまち大評判になった。引き続いて「シャーリー」(1849年)「ヴィレット」(1853年)を出版した。しばしばロンドンへ出るようになって、シャーロットはサッカレーを知り、彼から非常な賞賛と激励をうけた。彼女のよき伝記作者ギャスケル夫人を知るようになった。1854年、父の牧師補アーサー・ベル・ニコルズ(1815-1906)と結婚した。

   新婚旅行はダブリンからバナハーを経てキラーニー方面への旅であった。シャーロットは、未完の「エマ」を絶筆に、翌年3月31日、39歳で死去した。シャーロットの新婚生活はわずか9ヵ月だった。夫のニコルズはその後アイルランドのバナーに帰り、いとこと再婚し、1906年に亡くなっている。

   死後、1857年に「教授」が出版された。小説家シャーロット・ブロンテは激しい情熱と反俗的な強い抗議の精神を特色とし、19世紀イギリス小説史上重要な位置を占めている。

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