クラーク精神の実践者、黒岩四方之進
札幌農学校一期生、黒岩四方之進(くろいわよものしん)は高知県安芸市出身。黒岩涙香の兄。
明治10年1月30日、クラーク博士と生徒、総勢14人は、雪の手稲山登山をした。目的は地衣類の珍種の採集と身体鍛錬であった。珍種の地衣を見つけたが、手の届かぬところにあった。そこでクラーク博士は級中で一番背の高い黒岩四方之進をさし、自ら雪の上に四つんばいになって背の上に乗ってあの地衣を取れと命ぜられた。「三尺去って師の影を踏まず」と教えられていた黒岩は困り果てたが、先生は早く乗れとせき立てる。余儀なく彼は土足のまま先生の背の上に上がり、地衣を手に入れた。この珍種は和名で「クラークごけ」と名づけられた。
土足で恩師の背に乗った黒岩四方之進は、クラーク先生の寛容な心に胸打たれ、「イエスを信ずる者の誓約」には一番に進み出て署名したといわれている。札幌農学校卒業後、新冠御料牧場長として畜産界に貢献したが、退官後は日高国直別に一大農場を経営して村人から直別の聖人とあがめられた。クラークの弟子からは高位高官になる者も多いが、黒岩四方之進のような生き方こそクラーク精神の真の実践者であろう。
また彼の逸話の一つに、内村鑑三が「万朝報」に入社したのは黒岩四方之進の懇願によるものといわれている。
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