赤瀾会
赤瀾会は、大正10年4月24日結成された日本で初の女性による社会主義団体である。新婦人協会(大正8年11月24日発足、中心メンバー、平塚らいてう、市川房枝、奥むめお)に強い対抗意識があった。伊藤野枝は「改造」大正10年2月に「中産階級婦人の利己的運動:婦人の政治運動と新婦人協会の運動について」を発表している。赤瀾会は、新婦人協会はブルジョワ的、中産階級的で生ぬるいと考えていた。もはや現行社会制度の枠の中だけで女性解放を唱えて運動するのは無意味だというのである。山川菊枝などが中心として書いたと思われるメーデーのビラから要約抜粋する。
赤瀾会は資本主義社会を倒壊し、社会主義社会建設の事業に参加せんとする婦人の団体であります。解放を求むる婦人よ、赤瀾会に加入せよ。社会主義は人類を資本主義の圧制と悲惨とから救う唯一の力であります。正義と人道とを愛する姉妹よ、社会主義運動に参加せよ。
赤瀾会は一部のインテリ女性による運動ではなく、労働者階級の女性に呼びかけたものであり、堺利彦や伊藤野枝の思想が強く入っている。赤瀾会の中心メンバーは次のような女性たちである。伊藤野枝(大杉栄の妻)、青山菊枝(後に山川均と結婚、山川菊枝)、堀保子(堺利彦の先妻の妹、大杉栄の前妻)、堺為子(堺利彦の妻)、堺真柄(堺利彦の妹、近藤真柄)、秋月静枝、岩佐しげ、北川千代、九津見房子、高津多代子、仲宗根貞代、中村志げ、中村みき、橋浦はる子、橋浦りく、望月ふく子、吉川和子。
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