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2007年4月 9日 (月)

辻潤と伊藤野枝

    辻潤(1884-1944)は、明治36年、20歳のとき日本橋千代田尋常高等小学校の助教員となった。以来、ずっと教員生活を続けた。明治41年、浅草精華高等小学校に教鞭をとる。そして、辻潤が上野高等女学校へ転職したのは、明治42年4月、26歳の時であった。女子高生だった伊藤野枝(1895-1923)との恋愛事件で、辻潤はわずか4年にして上野高女を退職する。辻潤の人生は伊藤野枝との出会いが大きな転機であった。

    当時、野枝は学園新聞「敬愛タイムス」の編集をしていた。辻はその野枝の編集と文筆の才に感心させられた。そして辻は、野枝を育てるために、西欧の近代文学や思想を教えた。教師と生徒の親しい関係はしだいに恋愛へと育っていった。

   そのとき伊藤野枝には、親が決めた末松福太郎という婚約者がすでにいた。卒業すると、野枝は郷里の福岡で挙式するが、9日目にはもう末松家を出て、東京へ戻り、辻と同棲するようになる。福太郎は、再三「ノエヲカエサネバウツタエル」と電報を打ってよこした。校長も「あくまで野枝を愛するなら、学校を辞めてからのことにしてもらいたい」と退職を促すような言い方をするので、辻は「それでは今日かぎり辞めさせていただきます」と啖呵を切って退職した。

    伊藤野枝は、辻潤によって新しい教養に導かれ、平塚らいてうの青鞜社に参加し、婦人解放運動にかかわっていく。辻潤との間には、二児をもうけながらも、夫に離婚を申し出てアナーキスト大杉栄に走った。そして大正12年、大杉栄とともに官憲によって扼殺される。

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