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2007年4月23日 (月)

パラダイン夫人の恋

    映画「パラダイン夫人の恋」(1947年、日本公開1953年)はヒッチコック作品のうちでは失敗作といわれている。「レベッカ」「白い恐怖」に続くデビット・O・セルズニック制作映画であり、制作にあたってはセルズニックの干渉が強かったと思われる。キャスティングもヒッチコックの思いのままにはならなかったのだろう。それほどセルズニックは個性の強い製作者であった。

   ハリウッドのプロデューサーのデビッド・O・セルズニック(1902-1965)は、無名女優を発掘して、大女優にする名人である。ヴィヴィアン・リー、ジョン・フォンティーン、イングリッド・バーグマン、ジェニファー・ジョーンズ、アリダ・ヴァリなど。バーグマンのスウェーデン映画「間奏曲」を見て、バーグマンと専属契約を結んだ。「間奏曲」のリメイク作「別離」(1939年)でレスリー・ハワードの相手役に抜擢し華々しいハリウッド・デビューをした。ヒッチコック監督「白い恐怖」(1945年)ではグレゴリー・ぺックと共演した。しかしハリウッドにあきたらないものを感じていたバーグマンは再契約を希望するセルズニックを断わり、1947年米国を去った。

   セルズニックは第2のバーグマンを探した。アリダ・ヴァリ(1921-2006)だった。14歳でイタリアで20本もの作品に出演したが、プロパガンダ映画への抵抗から本国での映画出演が困難だった。アリダは1943年、「Ma L’amore no」という歌で大ヒットしている。(映画マレーナの挿入歌)戦後、セルズニックと専属契約し、ヒッチコックの「パラダイン夫人の恋」(1947年)で売り出そうと画策した。セルズニック自らが脚本を担当した。相手役はグレゴリー・ぺック。ところがこの作品は興行的にも成功とは言えなかった。ヴァリはイタリア訛りが強いことも原因の一つといわれる。むしろこの映画で魅力的だったのは弁護士の妻のゲイ・キーン役のアン・トッド(1909-1993)だった。戦後のイギリス映画が最初に送り出したスター女優で、ハリウッド女優にはない知性と美貌が輝いていた。アリダ・ヴァリも翌年、キャロル・リード監督「第三の男」ではヒロインのアンナ役を演じ、国際的女優となった。セルズニックの作品にはダフネ・デュ・モーリアの「レベッカ」やグレアム・グリーンの「第三の男」と原作探しにも定評があるが、「パラダイン夫人の恋」もロバート・ヒッチェンズという小説家の原作である。ヒッチェンズの小説の映画化は、マレーネ・デートリッヒ主演の「砂漠の花園」(1936年)でセルズニックは一度成功している。今回、パラダイン夫人役には、引退していたグレタ・ガルボの起用を計画したが失敗した。パラダイン夫人の美しさに心を奪われる弁護士キーンには、グレゴリー・ぺックではなく、ローレンス・オリビエかロナルド・コールマンを起用したいところだった。若いぺックがパイプを加えて実年齢よりふけを演じているが、イギリスの弁護士の雰囲気をだすには無理があった。召使のアンドレ役のルイ・ジュールダンは美男すぎて野卑な感じが出せなかった。判事のチャールズ・ロートンがアン・トッドに欲望を感じており、アンが夫をパラダイン夫人に奪われるとの不安が法廷劇とは別に存在していた。盲目の夫の殺人事件という謎解きよりもスターの心理描写を味わう作品であろう。

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