伊藤一隆と日本野球のはじまり
事物の始まりに諸説はあるものの、日本での野球のはじまりは、一説によると、札幌農学校の一期生たちによるベースボール・ゲームであり、その開始時期は、東京にあった開拓使仮学校の時代、すでに野球が行なわれていたという。
開拓使仮学校は明治5年4月15日開校された。場所は東京芝増上寺境内。英語教師アルバート・G・ベーツが、アメリカから持参してきた1本のバットと3個のボールで生徒たちに野球を教えた。生徒は伊藤徳松(のち伊藤一隆)、荒川重秀、安田長秋、小野琢魔、佐藤勇たち。とくに伊藤は長身で何事にも器用なので上手だったという。明治8年3月に開拓使仮学校は東京から札幌へ移転し、ベーツは札幌でも野球を生徒たちに教えていた。しかしベーツの急死により、野球はしなくなったようだ。
中川翔子さんのブログで伊藤一隆の子孫であると知った。つまり、しょこたんのご先祖は日本人で始めて野球をした人なのである。それはさておき、伊藤一隆の実父の平野弥十郎も偉い人であることをご存知だろうか。(参考:大島正健「クラーク先生とその弟子たち」)

近代風俗史を調べております。第一中学校(開成学校)のアメリカ人教師ホレエス・ウイルソンHorace Wilsonが生徒に始めて野球を教えたという説もあり、こちらは明治6年です。
アメリカから1本のバットと3個のボールを持って来るところはニューヨークのダイヤモンドクラブでベースボールを覚え、日本初のユニホームを着用したベース・ボールチーム、新橋アスレチックスを結成した平岡熙(ひろし)の話と符合します。
日本でいつだれが野球を始めたのか、こんなことが意外とはっきりしません。
よろしければ出典をお教えください。
投稿 バラオ | 2008年1月18日 (金) 13時06分
しょこたんのひひひおじいさんが伊藤一隆という話は大変興味深いものがあります。一隆は北海道で鮭鱒の人工孵化や鱈漁の開発、アイヌ保護をした人ですが、札幌農学校の指導員で、後に駐日公使になったエドウィン・ダンが新潟県でスタンダード石油のを経営するとき、経理責任者として雇われています。会社が日石に売却されると一隆も日石に移り、「日本石油史」という社史(名著)を書いています。「あしながおじさん」や「若草物語」、アガサ・クリスティーの翻訳で有名な松本恵子は、一隆の娘です。
投稿 さとう | 2008年4月14日 (月) 09時54分
さとう様、ご教示いただき有難うございます。
投稿 ケペル | 2008年4月14日 (月) 11時40分