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2007年4月27日 (金)

札幌バンドの末裔たち

    クラーク博士が帰国する前に「イエスを信ずる者の契約」をつくり、決心者に署名を求めた。大島正健(1859-1938)、伊藤一隆(1859-1929)、佐藤昌介(1856-1939)ら一期生全員がこれに応じた。大島、伊藤らは二期生の内村鑑三、新渡戸稲造、宮部金吾らに猛烈な伝道攻撃をかけ、入信に導く。彼らは「札幌バンド」と呼ばれ、北海道開拓のみならず、その後の日本の発展に大きな影響を与えた。

   とくに大島正健と伊藤一隆の友情は深い。因みに伊藤をジョンK、大島をミッショナリーモンク(耶蘇坊主)、内村をヨナタンと呼ぶ仲である。大島の夫人は伊藤の妹、千代である。また大島正健の次女の麗子は天文研究家の野尻抱影(1885-1977)の妻である。野尻抱影の弟は「鞍馬天狗」の作者である大佛次郎(1897-1973)。

    伊藤一隆の次女、伊藤恵子は大正5年青山女学院英文専門科を卒業後、英国へ留学。同地で松本泰と結婚。帰国後、大正10年に東京の東中野に文化住宅を10軒以上建てたが、松本恵子が大佛次郎の縁戚であることもあり、文士が集まるサロンのようになった。住人に長谷川海太郎(牧逸馬、谷譲次、林不忘)や小林秀雄、田河水泡らがいる。そこは、「谷戸の文化村」と呼ばれた。

   また松本泰は大正12年に奎運社を興し、「秘密探偵雑誌」を創刊、つづいて「探偵文芸」を発行した。松本恵子の父、伊藤一隆も長篇の翻訳で参加し、資金的援助もしている。

   小林秀雄は昭和3年、中原中也の恋人の長谷川泰子との同棲生活が行き詰まり、家を出奔して、奈良の志賀直哉に会いにいった。昭和4年、奈良から帰ると、東京にいる妹の小林富士子のところに住み込む。ここで「改造」の懸賞論文に「様々なる意匠」を応募し、宮本顕治の「敗北の文学」と争い、二席になる。妹の小林富士子(1904-2004)は、松本泰・恵子の媒酌により、田河水泡(1899-1989)夫人となる。小林富士子は筆名を高見沢潤子として作家となる。

   また、大島正健の山梨県立甲府中学校長在職時代に、石橋湛山(1884-1973)が入学している。石橋は後年大島の著書「クラーク先生とその弟子たち」という本の序に「個人主義の精髄 クラーク先生と大島正健先生」を寄稿している。

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