古典的なイギリスの貧困研究
貧困や格差、ワーキングプアなど日本で大きな問題となっている。貧困の研究は、経済学を中心とした社会科学の一つの原点となるものである。社会に現存する貧乏を的確に把握し、それを克服する方策を検討することが重要であることはいうまでもない。かつて河上肇が「貧乏物語」のなかで「貧乏は国家の大病」と喝破したことを肝に銘じて、資本主義にとっての最大の悪弊である貧困問題を追及していきたい。
およそ100年前のイギリスで2人の学者が別々の都市で貧困調査をした。驚くことにどちらも30%に近い市民が貧乏線以下の生活であり、その原因はそれまで信じられていた飲酒・怠惰・浪費などの個人的責任ではなく、失業・低賃金・疾病など社会構造に問題があり、その改良は政府の責任と考えられるようになった。貧乏線とは、貧困の範囲または境界を決定するために示す最低の生活標準。それ以下の収入では一家の生活を支えられないと認められる境界線(広辞苑)。
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チャールズ・ブース(1840-1914)は、1886-1902年の間に、3回にわたってロンドンの労働者階級を中心にすえた貧困調査の実施と、その結果を「ロンドン民衆の生活と労働」(1902-1903)としてまとめた。報告書の主な内容は次のとおりである。
1.全人口の約3分の1が貧困線以下の生活を送っている。
2.貧困の原因は飲酒・浪費等の「習慣の問題」ではなく、賃金などの「雇用の問題」に起因し、特に前者が大きく作用している。
3.貧困と密住は相関する。
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シーボーム・ロウントリーは、ブースのロンドン調査に影響を受け、ヨーク市調査を1899年に行なった。ロウントリーはまず貧乏生活している家庭を2種に分類した。
第1次的貧乏とは、その総収入が単なる肉体的能率を保持するために必要な最小限度にも足らぬ家庭。
第2次的貧乏とは、その総収入が、もしその一部分が他の支出にふりむけられぬ限り、単なる肉体的能率を保持するにたる家庭。1901年の「貧乏研究」によると、第1次と第2次的貧乏をあわせると全人口の27.6%にのぼることが明らかになった。
ロウントリーは、1936年に第2回目の調査を行なうが、この場合の貧困調査の基準は1899年の貧困線ではなく、「健康と労働能力を維持するための、最低消費食料」を採用した。第1次的貧困は19.9%、第2次的貧困は17.9%にものぼった。
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