「浜辺の歌」と金賢姫
3月22日放送の日本テレビ番組「あの人は今、金賢姫悲しき結婚生活追求」を見た。金賢姫(キム・ヒョンヒ)は1997年、ボディガードであった元国家安全企画部員の男性と結婚した。その後、名前を変え、男児を出産し、ソウル市内で普通の主婦として暮らしているという。結婚後は表舞台にでてこない。今回の市川森一の取材も何ら新しい情報はなかった。前回1997年の取材の映像が流れていた。市川森一にコロッケをあげながら、台所で「浜辺の歌」を歌っている。かつて金賢姫は日本人になりすますため、日本語教育だけでなく、日本の文化も教えられ、山口百恵の歌も数多く歌えると聞いたことがある。この戦前の古い唱歌「浜辺の歌」は日本を代表する歌として韓国人には知られていたのであろう。
「浜辺の歌」は本当に名曲である。「赤とんぼ」と同じように親しまれている。その芸術性が高く評価されている。淋しいとき、悲しいとき、つい口づさみたくなる歌であろう。ところが音楽の先生のブログを見ていると「最近の生徒は、浜辺の歌をあまり好きではない」ということが書かれていた。のんびりしたリズム、微妙な盛り上がりを持つ旋律に魅力を感じないらしい。たしかに唱歌といよりも、大人のセンチメンタルな曲という感じがする。
あした浜辺を さまよえば
昔のことぞ 忍ばるる
風の音よ 雲のさまよ
寄する波も 貝の色も
「浜辺の歌」は大正7年10月にセノオ音楽出版社から出された「セノオ楽譜98番」に掲載されて世に出た。作詞は林古渓(1875-1947)が大正2年につくり、これに成田為三(1893-1945)が曲をつけた。成田は鈴木三重吉の提唱した童謡運動に参加した音楽家で「赤い鳥小鳥」なども作曲している。成田は「浜辺の歌」を作曲すると、東京音楽学校の同窓の倉辻正子(1900-1989)に「いとしの正子にさざぐ」と記して、この楽譜を郵送した。そのとき、すでに婚約者がいた倉辻は楽譜を送り返したという。大正5年ごろの話である。「浜辺の歌」の豊かな叙情性は、成田為三の切ない恋歌からでていたものであろう。曲の生まれた背景は知らなかったが、大正、昭和、平成と時世は変わっても、人が人である限りもち続ける純粋な気持ちが見事に表現された美しいメロディーであると改めて思う。
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