離島の保健婦・荒木初子
戦後間もない頃の沖ノ島(高知県宿毛市)は医師も医療施設もなく、乳児死亡率は全国平均の4倍、それに加えて風土病フィラリアの発生地でもあった。荒木初子(1917-1998)は高知県衛生会産婆学を卒業後、昭和24年の春、沖ノ島の駐在保健婦として赴任した。初子は毎日、石段だらけの島内を巡回し、献身的に働いた。当初非協力的だった島民にも受け入れられ、その努力の結果、島の乳児死亡率、フィラリアの発生などは大幅に低下した。この活動に対して第1回吉川英治文化賞が贈られた。そして伊藤桂一の著書「沖の島よ、私の愛と献身を」や樫山文枝主演で映画化「孤島の太陽」が制作された。その頃、学校映画会といって講堂で年数回の上映会あったがケペルは映画「孤島の太陽」をよく憶えている。テレビでは小林千登勢が演じていた。ところで、映画のモデルである荒木初子はこの映画の試写会の出席のため上京したが、その直後に脳卒中で倒れている。昭和43年、51歳であった。治療を続けたが右半身不随になり昭和47年に退職、平成10年9月に81歳で他界する。劇中の半生より、それからの人生が壮絶だった。ちなみに「やすきよ漫才」の横山やすし、本名は木村雄二は沖ノ島出身。産婆の荒木初子がはじめてとりあげた赤ん坊は横山やすしという風説がある。横山は昭和19年生まれで、荒木は昭和24年に赴任したので疑問点はあるものの、ともに引瀬集落に住んでいたので、荒木は巡回診療に行って顔なじみであったことは事実であろう。
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