山中貞雄と鳴滝組
山中貞雄(1909-1938)は昭和初期、サイレンとからトーキーへの変動期の映画監督。東亜キネマから昭和8年に日活京都撮影所に移籍した。アメリカ映画にならって、数名で脚本を執筆しようと山中貞雄が中心となって稲垣浩、八尋不二、滝沢英輔、三村伸太郎、萩原遼、土肥正幹(鈴木桃作)、藤井滋司ら監督・脚本家とともに鳴滝組というグループを結成した。鳴滝とは京都の洛西、鳴滝音戸山の周辺に住んでいたことに由来する。当時の京都は太秦や嵯峨に、日活、帝国キネマ、千恵蔵プロ、マキノ、寛十郎プロの撮影所があった。彼らは所属の撮影所は違っていたが、お互いに仕事を助け合ってシナリオを共同制作した。そして共同ペンネームを梶原金八と称した。梶原は山中貞雄ごひいきの当時の東大野球部の名投手梶原からとったもので、金に縁のない8人が儲かりますようにと、縁起をかついで金八と名付けたと伝えられている。
梶原金八のシナリオは19本がある。稲垣浩「富士の白雪」、山中貞雄との共同監督の「関の弥太ッぺ」「怪盗白頭巾」、山中貞雄「勝鬨」「雁太郎街道」「海鳴り街道」、滝沢英輔「晴れる木曽路」「太閤記」「海内無双」「宮本武蔵」その他。そのうち3本を除いてことごとく山中貞雄が執筆している。昭和13年に山中は従軍中の中国北部で戦病死してから、昭和16年、稲垣浩の「海を渡る祭礼」を最後の作品として鳴滝組の活動は休止した。
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