宋学と四書五経
一般に儒教の経典は「十三経」として知られており、「周易」「尚書」「毛詩」「周礼」「儀礼」「礼記」「左氏伝」「公羊伝」「穀梁伝」「論語」「孝経」「爾雅」「孟子」を収めている。漢から唐まで儒学は訓詁学として発達した。十三経は経書の本文であるが、それには古い注釈の「伝」というものがついたのもある。この経書の本文と伝とに対してさらに注釈をつけ加えたのが「疏」で、全部あわせるとたいへんな分量になる。注疏は大体は唐代までにできあがり、ニ、三の足りない部分を補足して、「十三経注疏」全部が成立したのは北宋時代のころである。
唐代では仏教が栄えた。仏教の経典は三部に分けて、経、律、論である。宋代の儒者たちは仏教と儒教との経典を比べると、儒教は仏教の論部にあたる分野が欠けていることに気づいた。そこで、独自の発想と思索を重ねて、性・命・道・理・気などについて形而上的な解明を試み、論部の補強を思い立ったのが宋学の起こりであるといえる。
宋学は周敦頤(周濂渓、1017-1073)に起こり、張載(張横渠、1020-1077)、程顥(程明道、1032-1085)、程頤(程伊川、1033-1107)に受け継がれ、南宋の朱熹(1130-1200)によって集大成された。また漢代以来、儒学の経典として尊重されてきた五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)よりも、四書(大学、中庸、論語、孟子)が高く評価された。
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