芥川龍之介の初恋
芥川龍之介(1892-1927)は明治25年3月1日、東京市京橋区入船町8丁目1番地(現在の聖路加病院の辺)に、牛乳販売業耕牧舎を営む新原敏三(しんばらとしぞう)・フクの長男として生まれた。母が発狂したため、龍之介はフクの長兄芥川道草にあずけられた。生来病弱で感受性が強く、早くから書物を通じて人生への懐疑を深めた。大正3年5月、龍之介23歳、青山女子学院英文科に通う吉田弥生という同じ年の女性と知り合う。文学を好み、英語が堪能な弥生は才色兼備の女性であった。
7月20日から約1か月間、大学で1年上級の堀内利器の郷里千葉県一宮に滞在した。龍之介は毎日のように海水浴に行った。しかし、想うのは弥生のことばかりだった。滞在中、吉田弥生に手紙を出している。翌年には弥生は大学を卒業するが、すでに陸軍中尉との婚約話が進んでいた。龍之介は弥生のことを養家に打ち明けたが、反対された。実は弥生は新原と親しい家の娘であること、士族でないこと、私生児であることなどが反対の理由だった。大正4年2月、龍之介はついに吉田弥生との恋を諦めた。大正4年5月、弥生は結婚する。この失恋の痛手は、後の人生に大きな影響を及ぼした。友人への手紙にこう書いている。「周囲は醜い。自己も醜い。そしてそれを目のあたりに見て生きるのは苦しい」。そして、現実とかけ離れた世界に眼を向けようとして筆をとったのが、「羅生門」と「鼻」であった。
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こんにちは。吉田弥生です(本名)。このブログ見てビックリしちゃいました!ちなみに私も芥川龍之介と同じく、3月1日生まれなんです。
投稿: 吉田弥生 | 2007年3月31日 (土) 17時29分
コメントありがとうございます。龍之介が吉田弥生に宛てたラブレターには「いつの日か、再びシューベルトが哀調を共にきくこと候ひなむや」とあります。弥生が金田一光男と結婚する前日に、龍之介は詩人の富田砕花の家で最後の別れをしています。龍之介はダスティン・ホフマンにはなれなかった。
投稿: ケペル | 2007年3月31日 (土) 23時17分