二人のラッパ卒の戦死
明治27年7月29日、日清戦争で清国軍との成歓における激戦があった。この戦闘中に進軍ラッパを吹奏中に被弾し「死しても尚ラッパを口から離さなかった」という二人のラッパ卒の武勇が語りつがれている。白神源次郎(1868-1894)と木口小平である。
白神は岡山県浅口郡船穂村出身。「安城渡しのラッパ卒」として白神源次郎の名前は、軍歌に歌われ、詩となり、日本中に英雄として広まった。しかし、1年後、実際にラッパ手を努めていたのは木口小平ということになり「キグチコヘイ ハ テキノ タマニ アタリマシタ ガ シンデモ ラッパ ヲ クチ カラ ハナシマセン デシタ」と尋常小学修身書に書かれて、木口小平の名前が全国的に広く知られるようになった。
木口小平は明治5年岡山県成羽村新山に生まれる。木口小平は胸部に敵弾をうけ一度は倒れたが、銃を杖として起き上がり、さらにラッパを口にあて突撃の譜を奏し息の絶えるまでこれを続け、絶命後もなお銃とラッパを手から離さず、その壮絶なる動作は味方の士気を大いに鼓舞したという。
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