山岳信仰
役小角が始祖とされる修験道は古代の山林仏教などと融合し、中世に入り、全国各地の霊山に浸透してゆき、出羽三山、立山、白山、三峰山、木曽御岳、伯耆大山、英彦山などは山伏の拠点として発展した。
鎌倉時代は、山伏修行者のもっとも活発だったときで、山中の修行過程について、やかましく組織的秩序が定められ、修験は「道」と意識された。このように密教としての仏教に支えられた修験道であったが、古来固有の神道作法や山岳信仰に集っただけに、山伏の精進潔斎の仕方、参籠奉幣の儀礼は、純仏教にはうかがえぬものを含んできた。室町時代には、その実践について教養も神秘に綴られるに至り、真言系は当山派、天台系は本山派と分かれることになった。また、出羽三山が羽黒派、九州彦山が彦山派と、各地方的に別派を称したものがあるが、全体として、当山、本山の二派が著しい。近世には峯入り修行の面よりも、一般の俗信にこたえ、種々の呪術をおこなう面で世間に接する山伏が多かった。神仏分離を指令した明治維新政府は、明治5年修験道を廃絶させたが、実質的には民族的山岳信仰に包含されている。
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