現代詩の難解性による功罪論
大正詩壇で活躍された佐藤春夫は、昭和34年当時、朝日新聞に「現代詩はなぜ難解か」という一文を発表している。その主な内容は「私は年を取っているのでもう格別に努力を払って現代を追いかけようとは思わない。だが私も他の人々とともに現代詩を難解だと思う。その意図するところは分かっているつもりにもかかわらず、現代詩はやはり難解である。」と嘆いている。
日本の近代詩の成立には、例えば島崎藤村、土井晩翠、与謝野鉄幹、薄田泣菫、伊良子清白、河井酔名、蒲原有明、北原白秋、木下杢太郎、高村光太郎、三木露風、室生犀星、萩原朔太郎、宮沢賢治、中原中也など感傷と主情とを以て、暗誦するほど親しまれた詩が多数うまれた。佐藤春夫が嘆く「現代詩は難解になった」とは、現代詩史のどの時点をさすのであろうか。佐藤春夫には具体的な記述がないので、あくまでケペルの推測であるが、それはモダニズム詩人とか知性詩といわれる詩人たちの出現によるものであろう。吉田精一の「現代詩」(学燈文庫)から参考すると、「日本詩人」以後の一雑誌氏による合同運動として、特筆すべきは「詩と試論」(]昭和3年)である。昭和4年更に「文学」と改めて昭和8年までつづいた。ここによった詩人には、安西冬衛、上田敏衛、神原泰、北川冬彦、近藤東、滝口武士、竹中郁、春山行夫、北園克衛、三好達治、佐藤一英、滝口修造、西脇順三郎、吉田一穂等がある。この運動の目的は要するに主知的な詩であり、更に超現実的な詩風の追求であった。それを一口にいえば、単に感覚すればよい、意味をぬきにした想像の世界の創造であり、夢を現実のうちに建設しようという試みである。代表例として、西脇順三郎の「天気」という詩があげられる。
天気
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口で誰かとささやく
それは神の生誕の日
この詩を何度となく読み返したが、佐藤春夫のいうことがわかっただけで、詩のいわんとするところはさっぱり理解できなかった。高校時代の教科書にも西脇順三郎の詩があったが、やはり難解だという印象があった。では、村野四郎の「体操詩集」は現在も中学校の教材として使われ、わかりやすいのではないかという人がいるであろう。
体操
僕には愛がない
僕には権力を持たぬ
白い襯衣の中の個だ
僕は解体し、構成する
地平線がきて僕に交叉る
僕は周囲を無視する
しかも外界は整列するのだ
僕の咽喉は笛だ
僕の命令は音だ
僕は柔い掌をひるがえし
深呼吸する
このとき
僕の形へ挿される一輪の薔薇
村野の第2詩集「体操詩集」(昭和14年)は、その機知とイメージの美しさにおいて現代詩史上特筆すべき詩業として、詩壇の評価はいまも高い。詩から湿った叙情性や詠嘆性を一切取り除くことに成功した。いわば「体操詩集」は、日本の詩が近代史から現代詩に進んでいくポイントになった詩集である。「体操」「鉄亜鈴」「鉄亜鈴」「鉄鎚投」「吊環」「鉄棒」「鞦韆」「棒高飛」「登攀」「スキー」「飛込」「フーブ」「拳闘」「槍投」「競走」「肋木」などがある。とくに「鉄棒」はよく知られている。ところが実際読んでみると難解であることに気づかされる。例にあげた「体操」の詩の「僕には愛がない」とあるが、体操と愛とはどう関連があるのだろうか。解説書には適切な紹介が示されていることと思うが、これらはつまり「暗喩」というものだそうだ。最もやさしく理解できる「鉄棒」にも作者の意図するところは、実は別にあるのかもしれない。かような詩が新しい発展を示したことは疑いえないが、同時にそれは詩を空想のおもちゃとし、一般的な根強い人間性の共感を欠く結果を招いたことはたしかである。(参考:吉田精一「現代詩」学燈社)
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