躑躅ヶ崎館
武田信虎は永正16年(1519)居館を石和の館から府中(甲府)に移し、家臣を城下に集住させた。信虎が本拠として築いたのが躑躅ヶ崎館で、信虎、信玄、勝頼の武田氏三代の居館となった。現在、その館跡に信玄を祭る武田神社が鎮座している。築城当時は、土塁と空堀をめぐらした方形の主郭のみで、信玄の代に、西曲輪、北曲輪などが拡張されて連郭式の縄張りとなった。東西約280m、南北約190m。堀は一重で、土塁も高くなく、必ずしも堅固な城ではないが、「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、あだは敵なり」を信条とする信玄は、領内に新しい城郭を築かなかった。勝頼があたらに韮崎に新府城を築かなければならなくなったとき、武田氏は滅亡の運命を迎えたのである。
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