真田一族と戦国乱世
NHK大河ドラマ「風林火山」には真田幸隆(佐々木蔵之介)が重要な役として登場する。平安時代以来、東信濃に根をはった滋野氏の宗家海野氏は、武田信虎に逐われて上野国にのがれ、その支族真田幸隆も上野に浪人したが、のちに信玄の臣となる。幸隆は北信濃の村上義清を越後に追い払い、旧領真田を回復した。だが、信玄の死とともに、危機にさらされるようになる。
真田幸隆の三男昌幸は、長兄信綱と次兄昌輝が、長篠の戦いで戦死したため、真田家の当主となった。才覚のある昌幸は武田勝頼が天目山で滅ぶと、織田氏の武将滝川一益に属した。しかし天正10年、本能寺で織田信長が明智光秀に殺されると、上杉氏についてしまった。次には北条氏、転じて天正11年に徳川氏に随身することとなり、真田昌幸は千曲川のほとり、尼ヶ淵というところに城を築き、翌年に完成した。これを上田城という。まもなく起こった天正13年の第一次上田合戦で、上田城と真田昌幸は名声をほしいままにした。真田氏は当時小県(ちいさがた)地方(上田)3万8千石、上州沼田に2万7千石を領していた。その後、昌幸の長男信之は家康の養女小松姫(本多忠勝の娘)、二男幸村は豊臣方の大谷吉隆の娘を娶った。関ヶ原の戦いに真田信之(1566-1658)は徳川方についたが、真田昌幸(1547-1611)と真田幸村(1567-1615)は石田方につき、戦いののち高野山に流され、信之は父の遺領上田および沼田を与えられた。昌幸は高野山で死に、幸村は大坂夏の陣で奮戦して死んだ。信之は元和8年(1622)、上田から松代に移され、みずから松代十万石を領し、子孫相承けて明治に至った。
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