黒田清輝と天真道場
明治26年、黒田清輝(1866-1924)は、フランスから帰国した。外光派の画家ラファエル・コランに師事して、対象の形態を明確にとらえる古典的な描法と印象派風の色彩表現とを折衷する画風を学んだ。滞欧時の作品「読書」「厨房」、帰国直後の作品「舞妓」などに、すでに才能が開花しているのをうかがうことができる。明治27年、久米桂一郎と天真道場を開くと、そこに藤島武二、湯浅一郎、北蓮蔵、岡田三郎助、和田英作、小林万吾、中沢弘光などの俊英が集まった。天真道場の規則の中に、「当道場に於い絵画を学ぶ者は天真を主とす可き事」とあるが、ここにいう「天真」とは「拘束を排し自由を欲する近代の芸術家の意識のありよう」である。明治28年の「朝妝」事件も黒田清輝の先駆者としての自負をしめすものであろう。裸体画であるため囂々たる非難が集まったが、黒田は少しも動じなかった。
« 幕末仙台藩、遠藤文七郎 | トップページ | 加山雄三、有山崧の図書館の若大将 »
コメント