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2007年1月 8日 (月)

有山崧と土方歳三

有山崧と土方歳三との関係

   有山崧(1911-1969)と前川恒雄。全国の図書館関係者でその名を知らないものはいない。今、図書館は、いつでもだれでも本を借りられ、気軽るに利用する場所となっている。このような公共図書館の形が40年前に最初に実践されたところが、日野市である。そしてこの図書館を中心となって作り上げたのが、当時の日野市長だった有山崧(ありやまたかし)という人物なのだ。有山市長は、幕末の新選組最大の支援者だった佐藤彦五郎俊正(1827-1902)と妻ノブ(土方歳三の実姉)の曾孫にあたる。その関係を詳しく言えば、佐藤彦五郎の四男の彦吉が有山家に養子となり、維新後、すぐに渡米した。銀行家となった有山彦吉は地元で有数の資産家となった。その後、彦吉の子の有山亮は日野町長となる。亮の子が有山崧である。

有山崧の略伝

   明治44年、日野市に生まれる。東京帝国大学哲学科卒業後、文部省嘱託として社会教育局成人教育課勤務。戦後、日本図書館協会再発足と同時に総務部指導部長となり、昭和24年事務局長に就任。全国各地の研究集会に出席し、戦後の図書館の振興に尽力する一方、図書館法制定にむけて精力的に活動した。昭和38年に刊行された『中小都市における公共図書館の運営』の企画・推進に努め、図書館界を大きく転換させた。昭和40年、日野市長に当選。市政の面から日野市立図書館の創設・発展に努めた。

有山崧と前川恒雄

   有山が市長に選ばれる半年ほど前、一人の男が日野市教育委員会職員に採用されている。後の日野市立図書館の館長になる前川恒雄である。有山は昭和25年ごろから全国各地の図書館で開かれるワークショプで若い人材を捜していたが、前川恒雄は有山の理念を最も実践活動に結びつけた男だった。日図協、図問研で活動したのち、前川はイギリスに留学し、昭和38年、日本図書館協会で「中小レポート」を有山の下で書き上げた。そのレポートの中に「公共図書館の本質的な機能は、資料を求めるあらゆる人々やグループに対して、効果的かつ無料で資料を提供するとともに、住民の資料要求を増大させるのが目的である」と書いている。つまり、閲覧中心の図書館をいつでもだれでも本を借りられる場所にしよう、多く利用してもらえる場にしようとするものだった。レファレンスや読者援助と貸出業務との関係をどう考えるかという議論も、読者援助こそ重要であるとする小田泰正と、資料提供(貸出との追求)こそ読者援助の核心であるという前川恒雄との間に論争がかわされたが、貸出の追及こそが読者のサービスにつながるとする前川理論が実践的で正しいものであることはその後の歴史が明らかに証明している。近年一部学者が唱える「市民の図書館からの脱却」は邪説である。なにごとにも初心を忘れないようにしたいものである。

   なお、このページの作成にあたりましては、このブログに寄せていただいた方からの有益な情報にもとづいています。ここに感謝申し上げます。

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コメント

私のいい加減な情報提供を丁寧に調べてくださって、ありがとうございます。1点だけ、
>有山崧(1911-1965)
ですが、有山氏の亡くなったのは、1969年3月16日だと思います。よろしくお願いいたします。

ご指摘のとおり、昭和44年3月に57歳でお亡くなりなっています。いま一度、「有山崧著作集1・2・3」を読んでみようと思います。

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