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2007年1月 2日 (火)

一夜の饗宴で佐々城信子の奏でた曲は?

   有島武郎の名作「或る女」のヒロイン早月葉子は、世間には多少名の聞えたクリスチャンの女丈夫を母親として、物質的にも恵まれた家庭に育ち、キリスト教の学校で学んだのだけれども、自由奔放な性格の葉子にとって、周囲のキリスト教的な雰囲気は息がつまるように感じられた。人間の自然な感情の動きを無視したせせこましい禁欲ずくめの歪んだ教育の中で、葉子は次第に反抗心を養い、周囲に対し嘲笑的になっていく。女学校の年ごろでもう幾人もの年上の男性を誑かす術を心得ている。そこへ折りから日清戦争の従軍記者で卓抜な文才を認められた木部が、世なれない純真な青年の姿で葉子の前に現れる。

         *

   それは恋によろしい若葉の六月のある夕方だった。日本橋の釘店にある葉子の家には七八人の若い従軍記者がまだ戦塵の抜けきらないようなふうをして集まって来た。十九でいながら十七にも十六にも見れば見られるような華奢な可憐な姿をした葉子が、慎みの中にも才走った面影を見せて、ふたりの妹とともに給仕に立った。そして強いられるままに、ケーベル博士から罵られたヴァイオリンの一手も奏でたりした。木部の全霊はただ一目でこの美しい才気の漲り溢れた葉子の容姿に吸い込まれてしまった。葉子も不思議にこの小柄な青年に興味を感じた。そして運命は不思議な悪戯をするものだ。木部はその性格ばかりでなく、容貌(骨細な、顔の造作の整った、天才ふうに蒼白い滑らか皮膚の、よく見ると他の部分の繊麗な割合に下顎の発達した)まで何処か葉子のそれに似ていたから、自意識の極度に強い葉子は、自分の姿を木部に見つけ出したように思って、一種の好奇心を挑発せられずにはいなかった。木部は燃えやすい心に葉子を焼くようにかき抱いて、葉子はまだ才走った頭に木部の面影を軽く宿して、その一夜の饗宴はさりげなく終わりを告げた。(有島武郎「或る女」)

   早月葉子は、国木田独歩に恋愛と結婚の喜びと失恋の嘆きを体験させた佐々城信子がモデルである。そして木部が独歩であることは言うまでもない。独歩の「欺かざるの記」の6月10日によれば「令嬢年のころ十六もしくは七、唱歌をよくし風姿素々、可憐の少女なり」とある。小説では、ヴァイオリンを奏でたとあり、日記では唱歌をうたったことなっている。

   だがこのほかに、信子はこの晩餐会で「雪の進軍」を歌ったという説もある。映画「八甲田山」でも印象的に使われていた軍歌「雪の進軍」は永井建子の作詞・作曲で明治28年1月につくられ、当時大流行していたらしい。「雪の進軍氷をふんで どこが河やら道さへ知れず」という男性的でリズミカルな曲であるが、可憐な信子がこの軍歌をどのように歌ったのだろうか。

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