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2007年1月31日 (水)

アーミッシュ派

    モルモン教が日本でその名を知らしめたのは、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)にモルモン教のパビリオン「モルモン教館」が出展していたことが大きいだろう。ほかのパビリオンは混んでいたので、ゆっくり見れたモルモン教館は、強烈な印象があったという人も多いのではないだろうか。戸別訪問の宣教活動で知られるエホバの証人(ものみの塔)は戦後のように思われるが、実は戦前から「灯台社」として布教活動されている。これらの宗教に比べアーミッシュの歴史そのものは最も古いが、日本ではほとんど知られることなく、アメリカ映画「刑事ジョン・ブック/目撃者」(1985年)によるところが大きいのではないだろうか。

    アーミッシュ派はプロテスタントのメノー派(メノナイト派、絶対平和主義で知られる一派)に属するスイス人ジャコブ・アマン(1644?-1730?)が、17世紀末に始めた一宗派。初期にはアルザス、スイスに広がったが、現在はアメリカに約4万4000人ほど残るだけである。アメリカへは1727年から50年にかけてドイツ系移民が多数が入植、そこからオハイオ、インディアナ、イリノイ、ネブラスカなどの中西部に移動していった。おもにペンシルベニア州に居住し、移住後も彼らの宗教、言語、風俗、教育を維持し、ペンシルベニア・ダッチという独特の言語を話す。聖書解釈において厳格主義をとるが、有名なのは生活様式で、原則として現代の技術による機器を生活に取り入れることを拒む。電気、電話などは使用しない。自動車は使わず、馬車を使っている。近代的な農業機械は使用しないが、優秀な農業者である。アーミッシュの服装は、男はつばの広い帽子をかぶり、ひげを蓄える、女は黒の靴下、靴をはく。教会のような建物はなく、子供の教育も自分たちで行なう。(参考:「アメリカを知る事典」平凡社)

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「キリスト教」カテゴリの記事

コメント

> ゆっくり見られたモルモン館は、強烈な印象があったという人も多いのではないだろうか

その時、入館しご覧になった方の言葉ですね。

アミッシュの人たちが「オハイオ、インディアナ、イリノイ、ネブラスカなどの中西部に移動していった」ということは知りませんでした。最近では、学校が一男性に襲撃されたとき、「私から撃って」と言って死んでいった女子生徒のことが世界を驚かせました。アメリカの力一辺倒のイラク政策と対照的であったからでした。私はすぐ英語のクラスで教材に使用しました。

コメントをありがとうございます。万博はケペルが高校生のときで、4、5回は行きました。なかでもモルモン教館とイタリア館と「ラブラブ・ショー」の実況中継(辺見マリと和田浩二)を覚えています。

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