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2007年1月21日 (日)

アービング、クーパー、ブライアント

    19世紀前半のアメリカの文学は長足の発展を見た時期である。それまでの17~18世紀のアメリカ文学は、牧師・役人・政治家たちが、本職の余暇に創作したものであったが、アービング、クーパー、ブライアントは文学を糊口の道とし得た最初の人々であった。この三人、とくにワシントン・アービング(1783-1859)は英文学の影響下にあり、これを抜け出ることができなかった。アーヴィングの初期の作品の一つである「ニューヨーク史」(1809)には、アメリカ人らしいユーモアが見られるにもかかわらず、有名な「スケッチ・ブック」(1819-20)にはかえってアメリカ的なものよりもイギリス的なものの方が多く、その後はヨーロッパ中世への憧れを示すもの、ヨーロッパ的異国情緒の作品が多く、アメリカの西部の持つ意味については無関心であった。文体もゴールドスミスらを範としていた。

    ジェイムズ・フェニモア・クーパー(1789-1851)はアービングとは異なり、代表作「革脚絆物語」(1823-41)の五部作(なかでも「モヒカン族の最後」は著名)において、辺境や大平原を舞台とし、好んでアメリカ的背景を扱った。ナティ・バンボーという主人公を通して、民主主義という新しい政体と社会の重要性とそのなかに含まれる危機を指摘し続け、その指摘は今日の世界にそのままあてはまるところが多い。

   ウィリアム・カレン・ブライアント(1794-1878)は、イギリスのトマス・グレイ(1716-1771)等「墓畔詩人」の影響下に、少年時代から瞑想詩を書いていたが、ワーズワースの影響を受け、ニューイングランドの自然をロマン的・神秘的態度で歌い、17世紀の詩人テイラーや、神学者エドワードの伝統を新しく生かした。ニューヨークの「イブニング・ポスト」紙に入り、同紙の主筆となって、ほとんど一生をその職に捧げた。そして、常に穏健公正な自由思想を唱え、労働者や農民の同情者としてペンをとった。彼の詩で有名なものは「死生観」(1817年9月)である。この詩は荘重典雅な調べで、そこに見られる落ち着きある格律、人生にそそいでいるまじめな視線は、詩を閑人の社交的装飾と考えて、押韻の美辞麗句のみに気を取られていた時代人の迷妄をさまさせるものであった。(参考:「世界文学史年表」中央公論社)

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