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2007年1月21日 (日)

アメリカの孤立主義外交

   「外国民に対するわれわれの行動の重要な原則は、通商を拡大するに当たってできる限り政治的結合をさけることである。欧州は一連の重要な利害関係をもっているが、それらはわれわれには全く無関係か、あるいはあっても非常にうすいものである」。

   これは、1799年のワシントン大統領の「告別の辞」であるが、ここにみられる孤立主義の傾向は、その後のジェファーソン大統領によってもその就任演説(1801年)で再確認された。孤立主義の政策は新興国アメリカにとって現実的な政策であったが、またそれはアメリカ人のナショナリズムの表現でもあった。彼らは専制政治、君主政治のヨーロッパ諸国に対して自由な市民の共和国としての自国の特色を誇りとし、そこにナショナリズムの拠り所を見いだした。ヨーロッパの邪悪な宮廷外交は共和国とは無縁のものであり、それにかかわることは共和国の徳性を損なうと考えられた。こうして、ヨーロッパに対する孤立政策はアメリカ外交の伝統として確立し、アメリカがヨーロッパに影響を及ぼしうる大国になってからも、孤立主義は存続した。ただし孤立主義の時代にも、ラテン・アメリカに対するアメリカ外交は積極的であったし、東アジアの国際政治にもある程度関与するようになっていた。アメリカの孤立主義外交は、1899年マッキンレー大統領時代に、国務長官ジョン・ヘイによって提議された中国の領土保全、門戸開放、機会均等の三原則、すなわち門戸開放宣言で、海外進出の帝国主義的政策への一つの転換を迎えたといわれる。(参考:有賀貞「アメリカを知る事典」平凡社)

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