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2007年1月11日 (木)

加山雄三、有山崧の図書館の若大将

   岩倉具視と三条実美は幕末維新の急進派公卿としてその名を歴史に残している。しかし岩倉は公武合体派、三条は倒幕派であり、なにかと二人のそりは合わなかった。岩倉は三条より12歳上であったことから、公衆の面前で「おい小僧!」と呼び捨てにしていたこともある。岩倉は前権中納言堀河康親の次男に生まれ、のちに岩倉具慶(ともよし)の養子に入った。岩倉は朝廷復権のために、皇妹和宮の将軍家への降嫁による公武合体を画策した。しかし、急進派公卿や志士から四奸両嬪の一人にあげられ、文久2年、朝廷より罷免され、洛外追放処分を受け、洛北岩倉村で蟄居生活を送る。三条実美は五摂家に次ぐ名家の清華家の出で、尊王攘夷運動の先頭にたっていた。しかし、文久3年8月8日、会津・薩摩に追われ、都落ちする。世に言う「七卿落ち」である。起死回生を願う両卿を提携させ、武力倒幕路線に導いたのが土佐の中岡慎太郎であった。岩倉は、徳川慶喜に大政奉還を迫った。同年10月、慶喜は大政奉還を上表し、12月9日、朝廷は王政復古を宣言する。岩倉は薩長に討幕の密勅を下した。密勅には、国事掛の署名もなく、天皇が裁可されたものかも疑わしいものだったが、時代はすでに動いていた。

    戊辰戦争においても岩倉一門の公卿の活躍は大きかった。三男の岩倉具定(1851-1910)は東山道鎮撫総督、四男の岩倉具経(1853-1890)は東山道鎮撫副総督となる。奥羽鎮撫総督の九条道孝、沢為量、醍醐忠敬の三公卿があたった。沢為量の娘の沢久子は岩倉具定の妻である。沢為量の養子の沢宣嘉(1833-1873)は九州鎮撫総督となっている。ちなみに岩倉具定と久子の子が岩倉具顕。具顕が女優の青木しのぶと結婚してできた娘・池端具子(1918-1970)は女優の小桜葉子である。その長男の池端直亮、つまり加山雄三である。さらに小桜葉子の弟の子が喜多嶋修、その妻が内藤洋子である。有山崧(土方歳三、佐藤彦五郎の一族で左幕)が「中小レポート」で図書館運動を展開しているとき、加山雄三や内藤洋子(岩倉具視の一族で討幕)はエレキとヨットで湘南サウンドを楽しんでいたとは、幕末維新と昭和は100年の歳月を経ても不思議な縁でつながっているものだ。

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