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2006年12月 6日 (水)

春の月かげ

   「燃えよ剣」第2回。文久3年2月、洛外の田畑が広がるのどかな里に、関東より得体の知れない侍のような集団がやってきた。新徳禅寺や村会所、数軒の郷士宅に分宿していた浪士団はほどなく関東へと去ったが、不幸にも去らなかった浪士たちがいた。のちに新選組とその名を轟かす男たち。京都では壬生狼と呼ばれた。その党首となる芹沢鴨、近藤勇たちの宿として割り当てられたのが八木源之丞家であった。壬生狂言では筆頭宗家を務める壬生住人士の家柄で、家族は妻のまさ、秀二郎、道之助、為三郎、勇之助の男子と、六人の女子がいたといわれる。

   八木家では、浪士のために離れを提供していた。六畳、四畳半、三畳の部屋と外に少し板敷きもあるという造りであった。だが、この部屋に十三人の男たちが起居する図は、想像してもあまり気持ちのよいものではない。芹沢鴨たちはさっさと母屋に移り、後にその部屋を血に染めて絶命する。芹沢が暗殺された時、八木家の勇之助少年は、とばっちりで足に刀傷を負っている。八木源之丞は明治26年に90歳で亡くなっている。八木家では隊士たちのことを「素朴ないい人たちだった」と今でもいい伝えている。

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