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2006年12月31日 (日)

三顧の礼

   大晦日の多忙な日に読書できる幸せに感謝している。林羅山の「除日講起す」の故事で学生時代のことを思い出した。大学に入ると「つがんの会」に来ないかと誘われた。「つがん??」と聞き直すと、司馬光の「資治通鑑」を大勢で声を出して読む会のことであった。昭和40年代後半から50年前半ころまで存在していたと思う。実は膨大な書物の「資治通鑑」は購入して持っていたのだが、結局、一度も参加しなかった。東洋史専攻の学生だったが、漢文の素読には自信がなかった。正月には箕面の大庭先生のお宅に伺ったことも思い出した。大勢のお弟子さんたちがいたが、いまでも東洋史を研究されているのだろうか。ケペルは、新自由主義的な考えなどにはなじまず、また歴史家としても、図書館員としても失格なのだろう。本とアジアが好きなだけである。ただ一つアメリカのいいところは、専門の研究をする学者ではなくて、「ライター」という人がたくさんいる、とむかし聞いたことがある。「リーダー・ダイジェスト」発祥の国である。専門書を読むには時間もかかるし、難しい本を読むのも骨がおれるだろう。平易な読みやすい文章で、一般読者向けにある程度の教養的で専門的な事柄を紹介するという社会的に啓蒙的役割を担っている。印刷の時代はなかなかライターにもなれないと思ったが、ブログでそのことができないだろうか、という思いでこの半年間に500項目以上を書いた。結局、孤独なケペルにも、いろいろな人との出会いでこの世に生かされていると感じている。以下、「つがんの会」を思い出して声を出して読む。

                *

琅邪の諸葛亮、字は孔明、襄陽の隆中に寓居し、毎に自ら管仲・楽毅に比す。時人之を許すもの莫きなり。惟だ頴川の徐庶と崔州平とのみは、謂ひて信に然りと為す。備荊州に在りしとき、士を襄陽の司馬徽に訪ふ。徽曰はく、「儒生・俗士は、豈に時務を識らんや。時務を識る者は、俊傑に在り。此の間自ら伏龍・鳳雛有り。」備問う、「誰とか為す。」曰はく、「諸葛孔明と龐士元なり。」と。徐庶備に新野に見ゆ。備之を器とす。庶備に謂ひて曰はく、「諸葛孔明は臥龍なり。将軍豈に之を見るを願ふか。」と。備曰はく、「君與倶に来たれ。」と。徐曰はく、「此の人は就きて見る可きも、屈致す可からざるものなり。将軍宜しく駕を枉げて之を顧みるべし。」と。(「資治通鑑」)

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