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2006年12月18日 (月)

児島喜久雄の「意識的芸術活動」

    西洋美術史学の創始者である児島喜久雄(1887-1950)の「芸術」の定義は次のようなものである。

作家ー芸術家ーが、その意識的芸術活動によって、みずからの生活感情を、芸術的ー美的ーに表現したものである。

   児島は、ディルタイ(1833-1911)の「詩人の想像力」(1887)を読んで、劈頭の「意識的芸術的試作」という言葉にふれ、それから「意識的芸術活動」という言葉を造語して、芸術の定義づけに用いた。つまり、意識的な芸術活動の参加によって初めて、芸術とみなされるのであり、美意識の意識的な働きがまだ働かない段階は、芸術以前のものと解されるといのである。

    児島は芥川龍之介(1892-1927)、恒藤恭(法学者1888-1967)とも一高時代からの友人であった。初期の芥川には表現技巧の洗練こそが芸術の芸術性を保証するのだと考えて、やはり「意識的芸術活動」を標榜している。若い二人の間になんらかの芸術論が闘わされたのであろう。

   志賀直哉は「児島喜久雄の憶ひで」を次のように書いている。

   児島は子供から絵が上手で「明星」によくカット絵を出したりしている事は知っていた。中学の二三年で、藤島武二、長原止水などと肩を並べて新しい傾向のカットを描いている早熟さには驚いたものである。三宅克己に水彩画を習ひ、上野の白馬会にも出品していた。

    学習院、一高、東大哲学科を大正2年卒業。「白樺」同人として、美術批評を行なう。「白樺」創刊号の表紙は児島が描いたものである。東北大学、東大教授となり西洋美術史講座を担当する。大正10年から15年までヨーロッパ留学し、ボーデ、ヴェルフリン、ヴェントゥーリ、バノフスキーなど美術史家と接し、主として古代とルネサンス美術を研究した。著書として「美術館めぐり」「レオナルド研究」「古代彫刻の臍」「ショパンの肖像」「美術概論」「希臘の鋏」など。ちなみに岩波新書赤版の装丁は、昭和13年の創刊の折に児島が担当したものである。

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コメント

ケペル先生、はじめまして。児島喜久雄については、国立歴史民俗博物館の初代館長で歴史学者であった井上三貞の自叙伝『私の古代史学』の「和辻先生と児島先生」の一節で知りました。その持論は『史学』に歴史哲学は必須である、だったとか。児島のいくつかの著作を読むと、とても西洋美術史の枠には収まりきらないと感じました。

ちょうど山梨県の清春芸術村・清春白樺美術館で、12月27日まで『生誕120年 児島喜久雄と白樺派の画家たち』が開催されているとのこと。新宿から中央線で2時間ちょっとの場所なので、児島喜久雄の研究の一端を垣間見てこようと思っています。

上記コメントの井上文献の誤表記をお詫び。

正しくは、

井上光貞『わたくしの古代史学』文藝春秋社。

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