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2006年12月30日 (土)

明治初期のキリスト教宣教

   幕末に最初のプロテスタント宣教師が横浜に来日したのは、安政6年(1859年)である。ヘボン、バラ、ブラウンらの感化を受けて、洗礼を受けた人々を横浜バンドという。(バンドとは「同志的結合」の意)まだ禁制下で横浜バンドと呼ばれる同志11名は福音主義に立ち、明治5年、日本基督公会を設立した。ブラウンの影響で植村正久(1858-1925)、井深梶之助(1854-1940)、押川方義(1849-1928)らによって日本基督教団が形成された。

   横浜のほかにも各地でバンドが形成された。熊本バンドは熊本洋学校のアメリカ陸軍士官であったL・ジェーンズの感化を受けた青年たちが明治9年1月「奉教趣意書」に署名した。札幌バンドは、札幌農学校で農学者W・S・クラークの感化を受け、明治10年3月「イエスを信じる者の契約」に署名した人々のことをいう。横浜と熊本・札幌の違いは、熊本・札幌は「お雇い外国人」と呼ばれる教師・技師が来日し、たまたまその人がキリスト者であり、その感化によってキリスト教を信じるグループができた。これに対して、横浜バンドはブラウン、バラは正規の神学教育を受けた聖職者であり、教派の組織的な活動の一つであったことであろう。

    ところで特に注目すべきことは、初期キリスト者には、旧幕府の出身が多い点である。植村は旗本植村祷十郎の長男、井深は会津藩井深宅右衛門の長男、押川は松山藩橋本昌之の三男、山路愛山も旧幕臣である。相馬黒光も仙台藩儒者の孫娘である。江戸、会津、松山、仙台と地域にかかわらず旧幕軍の子弟は、新時代に陽の目をみることがなく、キリスト教に救いをもとめる者がいたのであろうか。あるいは、明治政府に対する反骨精神が宗教に傾斜したのであろうか。現在、日本のキリスト伝道が行き詰っている原因の解明は初期指導者たちの出自と関係がないだろうか。

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