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2006年12月24日 (日)

土方歳三の肖像写真

   文久3年の八月十八日の政変の直後の23日、新選組は尊攘派の取り締まりを行なった。桂小五郎を捕縛するため、土方歳三は三条大橋北、鴨川沿いの岩屋町の妓楼を急襲する。しかし、桂は大坂に出向いていたため不在で、従者ふたりを捕らえたのみだった。翌24日早朝、平野国臣の潜伏先をつきとめ、三条小橋近くの豊後屋を襲う。平野は逃走したものの、天誅組の挙兵に加わった古東領左衛門の捕縛に成功した。このとき、二階の別室には堀真五郎、品川弥二郎、時山直八が滞在しており、障子の隙間から新選組の姿を見ている。堀の「伝家録」によると、豊後屋の主人が御用改めがあることを泊まり客に告げると、間もなく隊士たちが階段を上がってくる。彼らに藩と姓名を尋ねると、新選組はそのまま立ち去った。一隊は11名で、これを率いた男の相貌は「長面、色白にして背高く、火事装束」をまとっていたという。歳三の身長は「両雄士伝補遺」に、「五尺五寸」、ほぼ167センチと記されており、当時としては長身の部類である。彼らを尋問したのは歳三だったに違いないと菊池明は推測している。土方歳三の肖像写真は、ガラス原版は存在しないが、プリントした「紙焼き写真」が数パターン残っているので、土方の相貌については現在では多くの人が知っているであろう。明治2年4月、函館を脱した市村鉄之助が、7月になって日野の佐藤家に届けた写真、土方家所蔵、平家所蔵、小島資料館、市立函館図書館所蔵の写真などである。それぞれ修正がされており、若干の違いはあるが、絵柄としては同類の写真である。市立函館図書館所蔵の写真は「お土産写真」の一つと思われる。明治期には「お土産写真」と呼ばれる、維新期の有名人や、美人芸者などの写真が販売されていた。「土方歳三」というブランドに、当時どれほどの人気があったか不明だが、これらの写真は写真師が少しでも歳三を美男にしようと修正の手を加えたものである。ただし歳三の写真は、土佐の志士で農商務大臣や宮内大臣などを歴任し、伯爵となった、同姓の土方久元(1833-1918)のものと誤認された時期があったという。(参考:菊池明「土方歳三の35年」新人物往来社)

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