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2006年12月23日 (土)

裏通り先生と松本良順

   燃えよ剣、第15話「わかれ雲」では、伊東甲子太郎(外山高士)は近藤勇、土方歳三らと話し合い、伊東グループは御陵衛士として新選組からの分離がいよいよ決定的になる。(慶応3年3月16日)そのなかで、試衛館以来の同志である藤堂平助(平沢彰)は苦悩する。鷲尾真知子が若い。

   毎回、町医者の裏通り先生(左右田一平)と八木家の下男の伝蔵(小田部通麿)との会話がとても楽しい。裏通り先生は架空の人物だが、松本良順(1832-1907)という名医は幕末・明治に実在し、新選組とも親しい関係にあったという。裏通り先生の台詞にも「大阪に松本良順という名医がいるから、みてもらいなさい」という場面があった。

   松本良順は、医師佐藤泰然の次男として、天保3年6月、江戸麻布で生まれた。松本家の養子となり、西洋医学を長崎のポンペに学び、文久3年に西洋医学所頭取を拝命し、将軍家侍医となる。元治元年には近藤勇と交流し、慶応元年に上洛したさいには屯所を訪れるなど、新選組の理解者だった。緒方洪庵没後、西洋医学所頭取を継ぐ。戊辰戦争では旧幕軍に同行し、負傷者の治癒にあたりながら会津から仙台に向かったが、継戦を断念し、横浜から船行して縛につく。明治2年12月に放免され、明治5年、陸軍初代の軍医頭となり、軍医制度の確立に尽力。明治7年、初代の陸軍軍医総監となり、陸軍医務局長も務めた。のち西南戦争にも従軍した。男爵となり、明治40年3月20日に死亡。

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