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2006年12月27日 (水)

中村屋サロンと仲間たち

   相馬黒光(そうまこっこう、1876-1955)。本名は、星良(ほしりょう)といった。明治9年、仙台の士族の娘として生まれた。良は自由民権運動の女性闘士だった景山英子(福田英子)と福田綾子にあこがれていた。若いころ押川方義の教会に入り洗礼を受ける。明治24年、宮城女学校に入るが校長と対立して退学。押川は横浜のフェリス女学校の教頭星野光多に連絡をとって、良をフェリスに入学させる手続きを取ってくれた。明治28年、明治女学校に入り、星野天知、北村透谷、島崎藤村を知る。明治30年、作家志望をあきらめ、相馬愛蔵(1870-1954)と結婚し、東大正門前のパン屋を譲り受け、明治34年12月から開業する。明治40年には本拠を新宿におくほど繁盛した。

   相馬黒光はパン屋の女主人として、9人の子を産み、店を繁盛させたが、彼女が有名なのは、中村屋サロンといわれ、「サロンの女王」として輝くほど、芸術家や文人が集まったことである。海外からの亡命者をかくまってくれるという噂を聞いて頼ってきた外国人もいた。荻原守衛、中村彝、中原悌二郎、柳敬助、中村不折、戸張孤雁、鳥居龍蔵、津田左右吉、会津八一、岩波茂雄、岡田虎二郎らが出入りした。またロシアのエロシェンコ、インドのビハリ・ボースら亡命者の保護者として果たした役割は大きい。

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