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2006年12月25日 (月)

滝沢馬琴と建部綾足

    滝沢馬琴に「本朝水滸伝を読む并に批評」(1833年)という建部綾足の「本朝水滸伝」についての評論がある。建部綾足(1719-1774)は宝暦・明和・安永期、滝沢馬琴(1767-1848)は寛政・享和・文化・文政・天保・弘化期に活躍した人であり、ほぼ半世紀離れていることを念頭におく必要がある。

   まず「作者の書ざまを批評す」とて、綾足が古言雅言を用いたのを失敗なりとして、人情を写し趣を尽すには俗語を以てせざるべからざることを主張する。第一条、柘の枝が人間に化することに典拠の無いことを難とする。第二条、道鏡が御祈り仕る段に、衣を穢したるを以て新衣を賜る事により僭上の兆を現わす趣向を賞讃し、「水滸伝」の高俅の出世と趣が変わって大変良いと言い、一部の専文であるとする。第三条、押勝は読者の贔屓着き難き故、晁蓋に批するは可なるも宋江に擬するは不可であると言う。第六条、恵美押勝等が祖王にして倶して不憶白猪の老翁にめぐり逢う段は佳作とする。しかし、この伊吹山寨は梁山泊に最も適している所で、看官も期待しているのにそうしないのは了解に苦しむ。第九条、巨勢金丸の描いた姿画で守部を欺いたのは、名画入神の徳というのではなく、幻術を用いた如くである。これは金丸のために不祥とすべきものである。古学者にして画家であった作者には似気なき事である。第十条、文を古雅にして事を今様にしているが、寧ろ事は古雅にして為すとも文を俗体にしなければならない。古雅は学者同好の二三子の間にこそ施すべきものである。第十二条、武雄・武荒兄弟が猟野を殺すが、この兄弟は敵役ではないのにかくするのは勧懲上よくない。負傷に止めるべきだ。第十三、和気清麿美は真の清麿ならず巨勢金石であったと言う趣向は大変佳い、看官の意表に出るものでさすが作者である。第十七条、越中国司家持が道鏡を滅ぼさんとする奈良麿に粮を送ったのは、身の職分を空(あだ)にして賊に公粮を与えたことになる。かくては勧懲が正しくない。かかる筋を作るのは「水滸伝」の骨髄を知らぬ所以である。第十九条、浄瑠璃の趣に似て文は面白いが、勧懲に遠い。奸賊道鏡を滅ぼして民の塗炭を救おうとする輩が、あるいは山賊の業を為すならば、道鏡の奸悪と五十歩百歩ではないか。作者の学問浅きが故に理義にかなわぬ作意である。

   以下、省略するが、馬琴はたいへん緻密に評論している。馬琴の傲慢な性格のため、多くの批判を加えているものの、綾足の作品を先駆的業績とみなし、大いに顕彰しているように感じられる。また馬琴の文学論としても、たいへん面白い内容が含まれていると思われるが、実はケペルは国文は得意ではないので仔細にはわからないことも多い。江戸期に「水滸伝」と称した読本が他にもあると思われるが、どのような特徴があるのか調べてみたい。(参考:浜田啓介「日本古典文学大辞典」)

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