男子の本懐
浜口雄幸(1870-1931)は、その威厳ある特異な風貌と篤実な人柄とから「ライオン宰相」と呼ばれ、昭和初期に軍縮の信念を持って国際協調路線を模索した。こうした中、昭和5年、海軍軍司令部の反対を抑えてロンドン軍縮条約に調印した。動揺する財部彪海相に対して、浜口は「玉砕スルモ男子ノ本懐ナラズヤ」(財部彪日記)と励ました。11月、軍縮に反感を抱く右翼青年に狙撃され、重傷を負った。このとき浜口が発した有名な言葉が「男子の本懐」。随行した秘書官の創作説もあるが、現場に駆けっけた四女富士子は「父の本心」と創作説を否定する。その後、条約批准をめぐる議会に病躯を押して登院。翌年8月、61年の生涯を閉じた。
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