連合艦隊長官の更迭
山本権兵衛(1852-1933)は、日本海軍建設の父といわれる。47歳で海軍大臣となり在任8年、この間、日露戦争に手腕を発揮した。明治36年10月、ロシアとの開戦を決意した山本は、常備艦隊(のちの連合艦隊)司令長官日高壮之丞中将を、舞鶴鎮守府司令長官東郷平八郎中将に代えることを決意した。日露戦争は日本海海戦の大勝で決着がつけられた。日露戦争後、軍参議官となった山本はイギリスのフィッシャー元帥に「あの大事な時になぜアドミラル日高を更迭したのか」とたずねられた。そのとき山本は「東郷は日高より、ちょっと少しばかりいい」と答えたという。そのちょっと少しの内容は推測するしかないが、日高になくて東郷にあるもの、それは沈着冷静な判断力ではないだろうか。
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