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2006年11月19日 (日)

フランスとマンドリンと朔太郎の青春

   萩原朔太郎(1899-1938)は、明治42年第六高等学校(岡山高校)第1学年で落第した。明治43年4月、慶応義塾大学予科1年入学、同月退学。明治44年5月、慶応大学予科1年に再入学したが、家事の都合によるとの理由で11月に退学している。

   萩原朔太郎、26歳。このころの生活については未詳の部分が多いが、自伝で岡山高校を「病気のために中途退学し、爾後東京に放浪す」といっており、かなり永いあいだ滞京していたと推定できる。

    明治44年早春から夏ころにかけて、マンドリン音楽界の権威であった比留間賢八、田中常彦、アドルフォ・サルコリにマンドリンを習う。この年か翌年あたりに、上野音楽学校に入学しようとしたが、望みを果たせなかったという。「10月頃、日本を去ろうと思い、帰郷してその旨を父に話したが実現せず」とある。

    「旅上」は大正2年(28歳)5月、白秋の「朱欒」に、掲載されたもので中央詩壇への初登場である。

      旅上

ふらんすへ行きたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広をきて

きままなる旅にいでてみん。

汽車が山道をゆくとき

みづいろの窓によりかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。

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