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2006年11月 5日 (日)

東映城の栄枯盛衰記

    昭和29年から昭和36~37年頃までの約10年間、東映といえば時代劇というほど、時代劇の東映は隆盛をきわめた。「日本映画界の興行収入の半分は、東映がいただく」と大川社長は豪語したとおり、片岡千恵蔵、市川右太衛門、大友柳太朗、月形竜之介、東千代之介、中村錦之助、大川橋蔵、伏見扇太郎、里見浩太郎、中村賀津雄、北大路欣也、松方弘樹、山城新伍など綺羅星のスターが存在した。しかし日本の社会は昭和30年代半ばに変貌し、大きく転換していく中で、時代劇も変化していった。昭和37年の大川橋蔵の「天草四郎時貞」(大島渚)は、時代劇の根底的変質を象徴した作品となった。翌年には、「十三人の刺客」(工藤栄一)、「十七人の忍者」(長谷川安人)など、いわゆる集団残酷時代劇が登場する。昭和39年にはこうした傾向はますます強まり、「大殺陣」(工藤栄一)、「忍者狩り」(山内鉄也)、「十兵衛暗殺剣」(倉田準二)、「幕末残酷物語」(加藤泰)などこれまでの明朗時代劇をあとかたもなく粉砕してしまった。これらは作品的にはすぐれたものであろうが、一般観客にはとまどいを感じた部分があった。このような時代劇の衰退とともに、東映はチャンバラ映画から任侠映画、やくざ路線に切り替えるわけである。昭和30年代半ばから第二東映を設立し、現代劇にもジャンルを広げてきたが、ここにきて高倉健を中心とした映画が昭和39年「日本侠客伝」(マキノ雅弘)、昭和40年「網走番外地」(石井輝男)がヒットする。既成の時代劇スターの中には、これらやくざ映画の出演を嫌がる俳優もいた。大川橋蔵のように「銭形平次」テレビシリーズ一本をライフワークとしたスター、独立プロを立ち上げ時代劇再興を夢みた中村錦之助、松方弘樹のようにやくざ映画と時代劇を両方出演するスター、里見浩太郎、北大路欣也のようにテレビ時代劇中心に活動するスターと昭和40年頃はまさに時代劇スターの分岐点だった。

   東映はテレビ製作に力を入れるべく、昭和39年「東映京都プロダクション」を設立する。第1回作品が「忍びの者」である。品川隆二の熱演もさることながら、原健策の悪玉ぶりが絶妙である。そして昭和40年に「新選組血風録」がスタートする。このニ作品ともに、従来のテレビドラマには見られなかった迫真のリアリズムがあり、視聴者を魅了したことはいうまでもない。

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