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2006年10月10日 (火)

木村昌福少将とキスカ島撤収作戦

    昭和18年4月に入ってアッツ、キスカ両島に対する米軍の攻撃が激しくなり、5月29日アッツ島は玉砕した。連合艦隊司令長官古賀峯一は、第5艦隊の河瀬四郎中将にキスカ守備隊の撤収を命じた。潜水艦による撤収は5月27日からすでに開始されていたが、米軍の攻撃が激しく、6月23日、880人を収容したところで中止していた。

    翌24日、河瀬中将は第1水雷戦隊の木村昌福少将に対し、駆逐艦による全軍撤収を命じた。だが木村は連日の好天のため突入を中止した。制海制空権のない日本軍は、北太平洋特有の霧を利用しての作戦でなければ撤収作戦の成功はないと確信していた。そしてようやく29日に突入を開始した。旗艦の軽巡「阿武隈」、「木曾」をはじめ駆逐艦6隻により、5000余名を1時間足らずで収容した。撤収部隊は8月1日、幌延に無事帰還した。

   米軍は日本軍の撤収にまったく気づかす、その後1ヶ月にわたってキスカ島に猛烈な砲撃を加えた。そして大部隊を上陸したときは、すでにキスカ島はもぬけのからであった。連合艦隊内で木村少将は「臆病者」「肝なし」と蔑まれた。しかし木村少将の冷静な判断力が多くの人命を救い「キスカの奇跡」をおこしたのである。

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