静御前、凛然と舞う
雪の吉野山で愛する義経と別れた静御前は、やがて身柄を拘束され鎌倉へと送られる。頼朝と政子は鶴岡八幡宮に参詣したおり、静を回廊に召し出し、頼朝の前で当代一の舞を見せろという屈辱的な要求をするのだった。静は病気だといって断ったが、政子の所望と頼朝の命令で、仕方なく舞うことになる。工藤左衛門尉祐経が鼓をうち、畠山二郎重忠が銅拍子をつとめた。静は「しんむじょう」という曲を歌い始めた。その清明で美しい声と舞い姿に、そこに集う人々は貴賎の別なく感嘆の声をあげた。ところが曲が半ばまで進んだとき、工藤祐経の鼓が、急に終結に向かう急調子に転じた。どうやら祐経は、曲がその場にふさわしくないと思ったようだ。人々は「情けを知らぬ祐経よ、もう一差し舞わせよ」と口々に注文した。心を込めて歌っていた静とて心外である。そして、所詮は夫の敵の頼朝の面前での舞だ。いっそ義経への想いのたけを歌に託そうと決心した。静の即興の歌声が、前にも増して朗々と、そして切々と八幡宮の境内に染み渡った。
しづやしづ賤の
をだまき繰り返し
昔を今になすよしもがな
吉野山峯の白雪踏み分けて
入りにし人の跡ぞ恋しき
歌に託して、義経への恋慕と悲嘆を洩らしたのであった。居並ぶ者たちは、皆感動したが、頼朝は憤った。政子が「女心を察してあげて」ととりなすと、頼朝は御簾の端を少しあげた。その様子を見ていた静は舞台に戻り、下の句を替えて歌い直した。
吉野山峯の白雪踏み分けて
入りにし人の跡絶えにけり
すると頼朝は、今度は御簾を高々とあげた。頼朝と静のこの勝負、静の勝ちであった。
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