白樺派と第四次新思潮の「俊寛」競作
同人雑誌「白樺」は明治43年に創刊され、第一次大戦後のデモクラシー思想の高揚にのって、大正中期には主要な文芸思潮となった。おもな作家は武者小路実篤、志賀直哉、有島武郎、里見弴らで、のちに長与善郎、倉田百三などが加わった。しかし、白樺派の自己肯定や理想主義に飽き足らず、人間の実態をみつめ、人間の醜悪さや卑小さをも理知の目をもってとらえようとする新現実主義が起こる。芥川龍之介、菊池寛、久米正雄、山本有三らの新思潮派や広津和郎、宇野浩二、葛西善蔵らの奇蹟派の文学がそれにあたる。この主義は広範で漠然としたものであり、作家の層も厚かったが、当時ようやく隆盛に向かいはじめた出版ジャーナリズムの波にのって、めざましく文壇に進出した。大正6年ごろ、倉田百三は戯曲「俊寛」を書き上げ、「新思潮」に投稿したが、芥川や菊池は一高時代ほぼ同期だった倉田を嫌っていたため、この原稿を没にした。止むを得ず倉田は白樺一派の小雑誌「生命の川」に連載した。「俊寛」は大正7年3月その第一章を「白樺」に発表された。倉田百三の「俊寛」に刺激されて菊池寛も「俊寛」(大正10年10月)を書き、芥川龍之介も同じく彼の「俊寛」(大正11年1月)、山本有三も「俊寛」を書いている。「白樺」対「新思潮」の競作であったが、出来は倉田の「俊寛」がいちばん力作で、すぐれているという吉田精一の批評である。
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終戦直後の菊池寛(文藝春秋)もとりあげています。
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投稿: kemukemu | 2007年2月 5日 (月) 22時35分