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2006年9月30日 (土)

幸徳秋水、内村鑑三、「万朝報」を退社する

   明治36年10月、いよいよ日本とロシアとの外交交渉がゆきづまり、大きな戦争がはじまると人々が思いはじめているころだった。当時東京第一の売上げ部数をほこっていた「万朝報」の編集部では激論がたたかわされていた。ロシアとの戦争を支持するか反対するか。社主の黒岩涙香と論説記者の幸徳秋水は対立していた。涙香はどなった。「君、君はなぐられてもそのままだまっているのかい?」秋水は友人の堺利彦、また同じ社の内村鑑三と相談のうえ、「万朝報」が戦争賛成に紙面を統一する以上、退社して、自分の文章に責任をもとうと一決せざるをえなかった。クリスチャンの内村は退社以後別の行動をとったが、秋水と堺は、あらたに週刊の「平民新聞」を発刊し、一人の言論人として生きていこうと決心した。「平民新聞」創刊号の第一ページをかざる宣言は、こう書きだされている。

  「自由、平等、博愛は人生世に在る所以の三大要義也」これはそもそもフランス革命のときのスローガンである。「平民新聞」の編集局と自称する和室には、秋水の先生だった中江兆民の「文章経国の大業は不朽の盛時なり」という額がかかげられていた。

   内村は基督者としての強く闘うヒューマニストの姿勢を顕示した。「余は単に非開戦論者であるばかりではない。戦争絶対的廃止論者である。戦争は人を殺すことである。人を殺すことは大罪悪である。この大罪悪を犯して、個人も国家も永久に利益を得ようはずはない。戦争の利益は強盗の利益である」と極言した。「戦争は大罪悪だ」「戦争は強盗だ」という意思表示と論調の激しさとは内村の生涯の特徴であった。さらに叫ぶ、「戦争廃止論の声の起こらない国は未開国である。然り野蛮国である」と。文明開化を謳歌しつつあった明治日本は内村によって未開国・野蛮国の焼印を押された。そして泥田の中に蹴落とされた。戦うヒューマニストにはこの激しさと厳しさの表現を必要とした。彼の非戦論・平和論は今もなお民衆・読者の胸を打ち、振るい動かす力ではないか。

   「戦争と軍人が日本の富を奪い、ついには国民の手の中に残っている自由も憲法も煙硝のように消えてしまい、国を挙げて兵営と化し煙硝を食わされることになってしまった。日本国は滅亡するに至るだろう」({近時雑感」)

   まさに現代日本への痛烈な批判と挑戦と予言ではないか。日中十五年戦争・太平洋戦争による日本の滅亡の運命を適確に予言している。戦後の安保体制や日本・米・韓国・中国の問題を予言している。さらに現代の「戦後からの脱却」・憲法改正を予言しているようではないか。明治44年の「世界の平和は如何にして来るか」という論文で、「軍備は平和を保証しない。戦争を保証する」と叫んだ。内村はそのころすでに徹底した軍備無用論を叫んでいた。いまの日本にこのような痛切な警世の鐘を打ち鳴らす評論家がいるだろうか。筆は社会を動かせる。

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