谷川俊太郎20歳
ネロ
(愛された小さな犬に)
ネロ
もうじき又夏がやってくる
お前の舌
お前の眼
お前の昼寝姿が
今はっきりと僕の前によみがえる
お前はたった二回ほどの夏を知っただけだった
僕はもう十数回の夏を知っている
そして今夏は自分のや又自分のでないいろいろの夏を思い出している
メゾンラフィットの夏
淀の夏
ウイリアムスパークの夏
オランの夏
そして僕は考える
人間はいったいもう何回位の夏を知っているのだろうと
ネロ
もうじき又夏がやってくる
しかしそれはお前のいた夏ではない
又別の夏
全く別の夏なのだ
新しい夏がやってくる
そして新しいいろいろのことを僕は知ってゆく
美しいことみにくいこと
僕を元気づけてくれるようなこと
僕をかなしくするようなこと
そして僕は質問する
いったい何だろう
いったい何故だろう
いったいどうするべきなのだろうと
ネロ
お前は死んだ
お前の感触
お前の気持ちまでもが
今はっきりと僕の前によみがえる
しかもネロ
もうじき又夏がやってくる
そして
僕はやっぱり歩いてゆくのだろう
新しい夏をむかえ 秋をむかえ 冬をむかえ 春をむかえ 更に新しい夏を期待して
すべての新しいことを知るために
そして
すべての僕の質問にみずから答えるために
*
谷川俊太郎は、昭和6年12月、評論家谷川徹三の長子として東京に生まれる。都立豊多摩高校を卒業。昭和25年、三好達治に推薦されて「文学界」に初めて詩を発表、詩壇に登場して次々と佳作を示した。昭和27年、処女詩集『二十億光年の孤独』を出版。鋭い感受性を的確なことばで表現した作品群で、新鮮な衝撃を与えた。「ネロ」は第一詩集『二十億光年の孤独』に所収。作品中の「淀の夏」とあるのは、母の里である京都府淀町で過ごした夏という意味で、作者はそこで終戦を迎えたという。
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