石原莞爾の情勢認識
陸の橋本欣五郎(1890-1957)、海の三上卓(1905-71)を先頭とする昭和維新派の内先外後戦略ともいうべきクーデター陰謀が失敗に終ったのに対して、外先内後戦略をひっさげて「満州事変」の大謀略に成功したのが石原莞爾(1889-1949)中佐であった。熱烈な日蓮教徒である石原は、蒙古襲来による国難を予言した日蓮の危機意識を現代意識にダブらせており、「世界最終戦」に備えての日本の「挙国一致国難ニ当ル」体制を確立する突破口を、関東軍による「満蒙占領計画」に求め、「五族協和・王道楽土」の「満州国」建設を牽引車とする高度国防国家体制の樹立を図ったのである。このような石原構想の発案は、「危険ナル我等ノ隣人、ソヴェト連邦」の影響により、「支那辺境ノ諸省ハ悉ク之ガ摩中ニ陥ル」おそれありという情勢認識、「匪賊を赤化しつつ彼等を反満抗日の旗の下に結成せしめている」現状の下で、「全国民の八割乃至九割を占むる農民の下層部分が赤化されることは、日本の対満国策の遂行、従って満州の健全なる発達にとって最も恐ろべきことの一つ」であるという情勢認識にあった。要するに、孫文の遺嘱通りソ連と提携した場合の中国国民革命の赤色化への鋭い恐怖的対抗が、石原世界戦略の発案であった。
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