野中婉とチャングム
野中婉(のなかえん)は、1661年野中兼山の4女として生まれた。1664年、お婉4歳の時、亡父の冤罪に連座して、お婉ら一族22人は土佐の西の果て、宿毛に配流される。20余年の長い幽囚の歳月の中で訪う者は一人としていなかったが、ある日、谷秦山が高知の城下から30里を踏破して、人煙まれな宿毛の獄舎を訪ねる。当主清七、欽六、希四郎と相ついで亡くなり、1703年、貞四郎が病死して、野中家の男系は絶えた。お婉は、44歳のときにようやく赦免されて、高知に帰り藩より8人扶持を給される。お婉は、医を業として、野中家の墓をすべて修築し、石碑を完成、1712年には兼山の50年祭を朝倉安履亭で催す。1725年12月29日、65歳で没す。お婉の生涯を見ると、あの韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い」に共通するところがある。父母の冤罪、配流と幽閉、学問(儒学)、医術、名誉回復と女のたくましさが日韓共通している。再来年のNHKの大河ドラマは「篤姫」より「婉という女」(大原富枝)がいいと思う。
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