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2006年9月17日 (日)

サッコ・バンゼッティ事件

    米国裁判史上最大の汚点といわれるサッコ・バンゼッティ事件の悲劇はなぜ起こったのか。

  1920年4月15日、マサチューセッツ州のボストン南方の小さな町サウス・ブレインツリーで製靴会社の会計部長と警備員が射殺され、500人分の給料袋(1万5000ドル)が奪われた。事件発生から20日後、製靴工のニコラ・サッコ(1891年生)と魚行商人のバルトロメオ・バンゼッティ(1888年生)が容疑者として逮捕された。2人はイタリア移民のアナーキストで、大戦中はそろって徴兵を忌避している。警察は明確な物的証拠もないまま2人を検挙し、事件当時の検事はにせの目撃者を雇って法廷で証言させている。

    戦後不況で労使紛争が熾烈化していたアメリカでは、社会不安の原因を過激分子になすりつけ、共産主義憎悪をつのらせていた。ボストンでは特にその傾向がひどく、裁判では2人の前歴とアナーキストという点が、裁判長と陪審員に誤った予断をいだかせ、有罪が宣告された。有罪判決から約3ヵ月後、公正さに欠ける審理に抗議する動きが、アナトール・フランス、アインシュタインなどの支援を得て、ヨーロッパをはじめ世界各地でおこる。そのため、死刑は確定されたものの、内外の抗議運動に執行は延び延びになっていた。しかし、弁護側の裁判やり直し申し立てはことごとく却下され、しかも州知事の特赦拒否にあって、2人は1927年8月23日に電気椅子で処刑される。なお、裁判の不当性が認められて、1977年に2人は無罪となる。

    米国の映画監督シドニー・ルメットによるテレビ番組、イタリア映画「死刑台のメロディ」(ジュリアーノ・モンタルド監督、1970)など、この事件を題材にした作品が制作されている。(参考:「死刑台のメロディ・アナーキストの悲劇」週刊マーダー・ケースブック№51 省心書房)

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