古代中国の玉
玉は古代より中国人が最も珍重した素材でその神秘な色合いと滑らかな肌合い、そして年を経ても不変不滅のまま存在することが、中国人に永遠不滅の神聖感を与えることになったのであろう。玉には生命の不滅を与える霊力が宿ると考えられて、死者への葬送品や、貴人が身につけたり居室に吊り下げて飾る玉環、玉璧、玉魚などのほかに玉の印璽、刀剣装具が作られた。後世になると、玉製品は装飾品や花器、器物など多種多様なものが作られるようになるが、漢・三国時代には、まだ上に記したような、いわば象徴的な装身具が主体であった。
玉は「崑崙の玉、禹氏の珠」という対句によって中国では知られるように、崑崙山中ないしは、その麓野を流れるユルン・カシュ川に産出した。そのほか陝西省藍田県にも美玉を産したことが『前漢書』の地理誌に現れている。もちろん、その他の地方からもいろいろな玉が産出した。当時、「隋侯の珠、和氏の璧」と呼ばれた和氏の楚国は、今日の湖南地方で、これもまた名玉とされ、対句にまでなって珍重された一例である。玉には硬軟2種があり、崑崙(干闐)の玉は軟玉、和氏の玉は硬玉であったといわれる。この時代には、軟玉のほうがより重用されていた。
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