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2006年9月14日 (木)

吉田松陰の松下村塾と門下生たち

    松下村塾は吉田松陰の叔父の玉木文之進が天保13(1842)年に開いた塾である。名は、松本(下)の塾という意味。嘉永元年、文之進が藩の仕事に就いたため、塾は廃止。その後、松陰の叔父、久保五郎左衛門によって嘉永年間に再開された。松陰が、松下村塾の先生として公式に許可されたのは安政3(1856)年である。講義は翌年から、杉家の小屋を改修して行われるようになった。

 松陰は禁固刑の身で家塾を開くことを許され、尊王精神を基調とした漢学教育をすすめた。後に松陰は獄死したが、個性重視の教育は青年たちに大きな影響を及ぼし、高杉晋作、品川弥二郎、桂小五郎(木戸孝允)、伊藤利助(博文)、山県小助(有朋)ら幕末・明治に活躍した多くの人材を輩出させている。塾生は、このほか久坂玄瑞、吉田栄太郎(稔麿)、入江杉蔵(九一)、久保清太郎、野村和作、佐世八十郎(前原一誠)、正木退蔵などがいた。

    松陰の死後、再び松下村塾が開かれたのは、慶応元年。塾生の馬島甫仙によって5年間運営された。その後、藩の仕事を退いた玉木文之進、松陰の兄杉民治(梅太郎)によって講義が続けられ、明治25年まで続いた。

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